固定観念。続き。
わたしの「固定観念」兼「トラウマ」
①自己否定
思うに、お父さんの影響が大きい。
お父さんのことは大好きだし、本当にこの人が父親でよかったと思うが、
小さいころは、なんで怒っているのかわからなかったし
頭ごなしに怒られ反論できなかったし
自分の意見を言うと、大抵は否定され「もっとよく考えろ」的な感じで言われてきた。
いくら考えても合格ラインに達しない感覚
知識を増やさないと認められない雰囲気
念入りな準備をして発言しないと叩き潰される恐怖
今はそんなことは無くなったけども、
小さいころの経験だから、トラウマさんになってまだ残っている可能性はあるよね。
(パパ見てたらごめんね。本当に嫌いなわけじゃないのほんとに!!)
②ちゃんとしなきゃ
これも上と通ずるところが大きい。
うちの家族(特に父親家系)は、
けっこう意見を言い合って議論するのが好きな人が多い。
おじいちゃん・おばあちゃんちに帰ると
夜は大人たちによる議論が繰り広げられたり、
大きくなると自分たちも意見を求められたりした。
(でも発言なんてできるわけない(①参照))
わたしは共感性が高いのもあって、
いろんな人のいろんな行動や思いを理解できるけれど、
ほかの親戚たちは、自分の軸や「常識」に当てはめて、
人を、くずだ、馬鹿だ、害だと否定することが多い。
(これはうちの親戚に限ったとこではないけどね)
それを小さいころからずっと聞いていたので、
「あ、そういう人たちになったら嫌われちゃうんだ」
「『ちゃんとした人間』じゃないと認められないんだ」
って刷り込まれた可能性が大きい。気がする。
③自分を出したら嫌われる
これは、学生時代の記憶ですー
とらうまですー
今なら、人と違うことも個性だと認められるんですが、
学生時代って世界が狭いから、そうはいかなかったんですね。
この、周りとちょっとずれてる感じが、周りに受け入れてもらえず
(自分でも浮いていることを受け入れられず)
ハブられたり、理解されないことも多かった。
だから、周りと合わせる、自分を出さずに静かに過ごすことに注力していました。
そうすれば、みんなと一緒、嫌われないって思っていたんでしょうね。
心の奥底で、自分を否定して、
本当の自分でいてはダメだって思いこんじゃったんでしょうね。
④差別感
①~③より、自分の中に差別感が出来た気がしますー
「かまってちゃんは好きじゃない」とか
「常識のない人は嫌いだ」とか。
別にそう思ってはないんですけど、心の中ではそう思ってる(矛盾←)
だから、自分はそうなりたくない、自分はそうじゃないって思いたいんだろうなぁ。。。
…うん。
いま思いつくのはこんなとこだなぁ。
なんでここに上げたかっていうと、
皆さんに知ってほしかったから。
こうやって、発信することも、克服への一歩だと信じて。
この後、ちゃんと手で書き出して整理しようと思います。
では。