理由なく、そばに居れたら。
人と一緒にいる時、
私はどうしても、『理由』を必要としてしまう。
相手にとって、自分が有益な人間であるかどうか、
という事を、とても気にしてしまう。
そして、有益でない場合は、
一緒にいる資格はないと、自分の中で判断を下す。
これは、昔からの『クセ』のようなもので、
直そうにも、なかなか直らない。
『一緒に居てもいいかどうか』なんて、
考えても仕方ないのに。
それでも考えてしまうのは、きっと
学生時代に、人から必要とされなかったからだろう。
必要とされるときはいつも、
相手にとって自分が、有益な存在であるときだった。
ノートを貸してほしい時、
人数が足らないから適当に1人欲しい時。
私が必要とされるときは、いつも、そういったときだった。
私だから、私と一緒に居たいから、という理由で
選ばれることはほとんどなかった。
(事実がどうであれ、少なくとも私はそう感じていた)
その時の感覚が、しみついてしまっているのかもしれない。
理由なんて無くても、そばに居られたら。
『私』だから、という理由で、一緒に居られたら。
そんな関係性を、これからは
自分の大切な人たちと、築いていけたらいいな、と思った。