『わたし』を生きる。~わけあんlife~

自分らしく生きる、が目標の20代女子の雑記ブログ。

言葉というものは。

 

 

私たち人間は、「言葉」という道具を持っている。

 

これは、互いに意思疎通をするのに、とても便利なものです。

 

 

 

一般的に、

「言葉」を発することは簡単です。

 

でも、言葉を使いこなすことは、容易なことではありません。

 

自分が発したいことがあっても、

それを発することで何か、誰かに影響がないかどうか。

もし影響があるとしたら、それはよいものであるかどうか。

もし悪い影響があったとして、それでも発したいかどうか。

発するとして、それに伴う結果をすべて負う覚悟があるかどうか。

 

それらを考えたうえで、使っていくのが「言葉」だと思うのです。

 

 

「言葉を使う」という行為は、

それだけ、重大で、責任が伴う事だと、私は常日頃から思います。

 

 

 

 

「言葉」というものは本来、互いに贈り合うものだと私は思います。

 

「会話はキャッチボール」という例えもあるように、

一方的に使うものであってはならないと思うのです。

 

 

 

けれど最近は、この「言葉」というものを、

相手に一方的に投げつける人が多くなったように思います。

 

『このくらいの球だったら、受け取れるだろう』

『これくらいなら、当たったってどうってことないだろう』

『こんな球も取れないようじゃ、終わってるよ』

 

そういって、自分の感覚・憶測だけで相手を判断し、

その価値観を押し付ける人がいる。

 

 

 

けれど、考えてみてほしい。

 

人はみな、ひとりひとり違います。

 

得意なことや不得意なこと、

体の強さや精神の強さ、

考えること、価値観、見えている世界。

 

何もかもが違う。

 

 

だからこそ、そんな私たちが互いにうまくやっていけるように、

「言葉」というものができたはずなのです。

 

 

 

 

どうか、「言葉」を使うときは、

相手を想ってください。

 

あなたが「言葉」を使うとき、

その言葉は、あなたから遠く離れ、必ずどこかの誰かのもとに届くという事を

忘れないでください。

 

 

「言葉」の先には、人がいます。

 

 

そのことを、みんなが忘れなければ、

きっとこの世界からは、

 

差別やいじめ、マイノリティで苦しむ人たちは減ると思うんです。

 

 

どうか、この先の未来が、

 

ひとりひとりが自分らしく、堂々と胸を張って生きられる世の中でありますように。

 

言葉で悲しむ人が減り、多くの笑顔があふれる世の中でありますように。